教員の連載企画第3弾「私が〇〇を目指していたころ」をお届けします。
学科の教員も若い (?) ころは、皆さんと同じように、何かに打ち込んでいました。そんな教員の経験が何かのヒントになればと思います。
第1回目は,
「私が日本語教師を目指していたころ」
です。
今から,30年以上前,日本の大学に日本語教師を養成する課程ができ始めました。新聞の記事にもなったりしましたが,当時は「そんな仕事があるんだ」ぐらいにしか思っていませんでした。
もともと言語学に興味があったのに加え,ある外国語を現地で学んだことがきっかけになり,日本語教育学を専攻し始めました。
教員になるための教育のメインは実習です。教育実習は,年間30週の授業期間を通して延々と続くものでした。この実習では,授業計画,実施,評価までを学生が全て自分たちで考えて行うことが求められるものでした。
チームを組んで行うため,学生は連日研究室に泊まり込み,教材作りや教案作成のために意見交換を続けました。
実習室は,マジックミラー越しの「観察室」兼「画像録画+編集室」があり,授業風景を3方向から撮影されます。撮影された授業は,振り返りの時間にクラス全員の前で流されて,そこで,さらに教え方のディスカッションが続きます。
こんなことが1年間続いたのですが,今はとてもいい思い出です。
また,学生たちだけで海外の大学に出向き,1か月間合宿しながら,現地の日本語専攻の学生に日本語コースを行う実習も,とても印象に残っています。
授業の前の日は,ほぼ徹夜で準備して,極度の緊張の中で授業。終わったら,実習生同士でディスカッション。夜は,現地の日本語専攻の学生と交流 (お酒) ,という怒涛の1か月間を経験することによって,相当の度胸がつきました。
こんな教育を受けた後,実際の日本語教育現場で楽しく仕事をしています。